URIAH HEEP


The Park

デビット・バイロンがハイ・トーンで唄いあげる。
とても男性の声とは思えない声だ。(苦笑)
曲のほうもプログレ風味で幻想的だ。       <J>


Lady In Black/黒衣の娘

何本ものアコギをバックにケンの淡々としたヴォーカルが素晴らしい。
文句なしの哀メロ!! これぞ哀メロ!!!  <J>

    

Salisbury (1970)


Look At Yourself/対自核

「対自核」である。核って何だよ「核」って…というツッコミはまあ置いといて。
ケン・ヘンズレーのヘヴィーなハモンドとデヴィッド・バイロンの
ハイトーン・ヴォーカルが冴える、まさに「これがユーライア・ヒープ・サウンド」
(1960年代風(笑))な代表曲。
                         (2002/07/26)  <ベネトナーシュ>


July Morning/7月の朝

うおー、早く投稿しないと7月が終わっちまうぞ!!(笑)
エンディングがくどいという話もありますが(爆)、その代わり、
一度聴いただけで憶えること請け合いですナ\(^o^)/。
ちなみに4小節のリフが20回。21回目の途中でフェイドアウトになってます。
                         (2002/07/26)  <ベネトナーシュ>

     

Look at Yourself (1971)


Easy Livin’

大ヒットしたのも納得の文句なしのキャッチーSONG!
スピード感、コーラス、今となったら「懐かしい」CRYBABYの音色、
全てが古い(爆)がかっこ良さは変わらず。     <J>

Demons and Wizards (1972)


Return To Fantasy/幻想への回帰

27歳の若さで他界したゲーリーの後任にジョン・ウェットンが参加した
同名アルバムのTOPを飾る曲。
「ノリノリの哀メロ」←こんな表現があってもいいだろう。
私が一番聴き込んだヒープのアルバムの中でも一番好きな曲。 <J>

      

Return to Fantasy (1975)


Weep In Sience/静かなる涙

(*゜・゜)ンッ? これはクリムゾンかいな?と思わせる甘い泣きのギター
思いっきりメロディアスな流れ。ケンとウェットンの秀作。  <J>

      

High and Mighty (1976)


Cheat'N Lie/ぺてんとうそ




普通、ユーライア・ヒープのヴォーカルというと
全盛期のメンバーであるデヴィッド・バイロンのことを指すわけだが、
次いで人気の高いのがジョン・ロートンである。
バイロンの薬に溺れた末の脱退後も、試行錯誤を繰り返しなが
ら第一線で踏ん張り続けた、ヒープの70年代後半を支えたのがこの人だった。

なかでもこの曲は、そんな当時のヒープの新生面がよく出た名曲だと思う。
いい意味でポップに突き抜けたメロディーに乗る、ジョンの素晴らしい歌声!
ミックのプレイも実に伸びやか、どこを取っても会心の出来だ。
こんな綺麗でサワヤカな曲なんてヒープじゃない!という気持ちもわかるが、
ここまでの結果を出されてしまったらなにも言えないだろう。

現に、この曲を含むアルバム"罪なきいけにえ"はイギリスでこそこけたが、
ヨーロッパ本土では大ヒットした。
特に旧ソ連をはじめとする東欧諸国では怪しげなジャケに
包まれた海賊盤?が売れまくり、共産圏の崩壊を10年早めたとさえ
言われている(それが直にバンドの収入になったかどうかまでは定かではないが…)。
その前にバンドはモスクワで長い低迷期から復活ののろしを上げることになるが、
その火種はこの時すでに撒かれていたのである。

                              (2012/7/14)  <fxhud402>




Innocent Victim(1977)


No Return




バンドの顔だったデヴィッド・バイロンの脱退を逆手に取り、
したたかに新境地を開拓したユーライア・ヒープ。
しかし、それも長くは続かなかった。

バイロンに代わる新たなヴォーカリスト、ジョン・ロートンが加入して
3枚目のアルバムを出した後に辞めてしまったのである。
同時に、長年バンドの心臓としてスツールに座ってきたリー・カーズレイクも
オジー・オズボーンと行動を共にすることを決め、
バンドは重大な局面を迎えることとなった。
ドラムはレーベルメイトでもあるマンフレッド・マン'ズ・アースバンドにいた
クリス・スレイドにすんなりと決まった
が、ヴォーカルの人選は波紋を呼んだ。
元ローン・スターのジョン・スローマン。
それまでの歌い手の誰とも一線を画す個性的な声の持ち主で、
歴代のどのヴォーカリストよりもハンサムである。
まぁルックスはともかく、歌手としては非常にクセが強い。

なんでも、彼を連れて来たのはケン・ヘンズレーらしい。
思うに、ケンは作曲家としてハードロックを書き続けることに疲れてしまい、
バンドと自身の活動を続けるために、ヒープをハードロックから
違うジャンルのバンドへと脱皮させようとしたのではないだろうか?
これまでにもいろいろと幅広いスタイルの曲をやってきたものの、
ハードロックバンドとしての一線は守ってきたヒープ。
それさえも、ケンは取っ払おうとしたのに違いない。

少なくとも、スローマンとスレイドを迎えて制作した新作、
"Conquest(征服者)"にはそういう試みが詰まっていた。
その冒頭を飾るのがこの曲である。


事前になんの情報もなくこの出だしを聞いて、
ヒープだと気付く人はまずいないだろう。
スローマンはピアノを弾きながら歌い、
ケンはビブラスラップ(時代劇などで使
われる、カーッ!と乾いた音の鳴る打楽器)を打ち鳴らす。
様式美の世界を期待していた人はいきなりずっこける。
でもダークで美しいメロディラインは、疑いなくケンが
これまでヒープで展開してきたものだ。
曲が終わる頃には、すっかり納得させられている自分がいるのである。
Youtubeのコメント欄にも"これじゃスーパートランプだ"という意見があるが、
演奏の緻密さならヒープだって負けてはいない。

ほかにもこのアルバムにはトレバー・ボルダーの書いた
ブラコン系フュージョンがあったり、当然のようにディスコもあったりと、
徹底して脱・ハードロックへの道を模索しているのだ。
先述のビブラスラップに代表されるような、
おおよそハードロックでは使わないタイプの楽器を片っ端から演奏しては
曲に盛り込んでいるケンの奮闘ぶりも微笑ましい。

しかし、この大バクチは完膚なきまでに失敗する。
なにより、スローマンはライブでバイロン時代の曲を
まともに歌うことができなかったのだ!
その結果、スローマンを呼んだ責任を取る格好で
ケンはヒープを辞めてしまうのだった。
しかし、この段階になるまでなぜ誰も気が付かなかったんだろう?
それとも、気付いていながらタヌキ寝入りをしていた誰かがいるのだろうか?

                              (2012/7/15)  <fxhud402>





Conquest (1980)






Think It Over




バンド結成から10数年、ユーライア・ヒープは存亡の危機に立っていた。
バンドの創造性の核だったキーボーディスト、ケン・ヘンズレーが去り、
バンドが持っていた魅惑的な求心力は失われてしまった。
凡百のバンマスなら、もうお手上げ!とここで全てを諦めているだろうし、
もしそうしたとしても、誰もその事を責めたりはしないはずだ。
しかしミック・ボックスは諦めが悪かった。
むしろ、ケンが辞めたことでバンドをおかしな方向に引っ張ろうとする"謀叛"は収まった、なんとか再び軌道修正をしてバンドを再建しなければ…という感じだったのではないか。

というわけで、ケンに代わって参加したキーボード奏者は、
カナダ人のグレッグ・デ=シャート。
はっきり言って影は薄いが、そういうキャラが望まれる状況だったのは
想像に難くない。
ちなみに、後年にブライアン・ハウ時代のバッド・カンパニーのアルバムに参加していたりする。
腕は確かだ。

そんな新新々…生ユーライア・ヒープは、このシングルで復活ののろしを上げた!


…聴いていただいての通り、とんでもなく素晴らしい曲である。
ジョン・スローマンとトレバー・ボルダーの共作。
自分の曲ということもあるだろうが、スローマンはこの曲で初めて
"ヒープのヴォーカリスト"として覚醒したのではないだろうか。
歴代のヒープの歌い手で誰が好き?と聞かれたら、
迷わず僕は「"この時期の"ジョン・スローマン」と答えるだろう。
それぐらい好きな曲である。

バンドはこの曲を含めほぼアルバム一枚分の楽曲をレコーディングしたが、
このシングルを除いてレーベルが発売に動くことはなかった。
万策尽きたバンドは瓦解、ロウティーンの頃から海千山千の
この業界で叩き上げられてきたミックも、この時ばかりは打ちひしがれて痛飲したという。

しかしすぐにミック・ボックス・バンドとして活動を再開、
間もなくユーライア・ヒープの旗は上がった。
ほんと諦めの悪い男である。素晴らしい!

                              (2012/7/15)  <fxhud402>


Night Of The Wolf




1960年代から活躍してきたロッカー達にとって、
70年代の終わりから80年代の中盤にかけては受難の時代だった。
売れる音楽を求め続けるレコード会社、創造性や人間関係など
あらゆる面で煮詰まっていくアーティスト、そしてアーティストの
存在自体に飽きはじめる聴衆…。
それらは彼等の運命を容赦なくもてあそんだ。

ユーライア・ヒープもその例外ではなく、有為転変の末に
1985年に発表したアルバム"Equator(赤道)"は、バンドの新たな夜明けを
感じさせるタイトルとは裏腹に、歴代作品中最低の評価を頂戴している。

その理由はいかにもなCGのワイヤーフレームを使ったジャケットと、
これまた露骨にイエスの"ロンリー・ハート"を意識したシングル
"ロッカラマ"の悪印象にある。
"言うに事欠いて今度はテクノですか?ヒープさん"という突っ込みなのだ。
ハードロックの権化が聞いてあきれる、と。
また本作だけ所属するレコード会社が違うため、
再発される可能性が薄かったこともあるだろう。
ビジネスにならない物を誉めたってしょうがない、というわけだ。

反論は山ほどあるが、あえてその意見を呑んだとしよう。
その上でもなお、私は本作を名盤としたい。


何故か?

ラストに収録されたこの曲のために、である。


「征服者」の時と違い、たとえどんなに流行りを取り入れたとしても、
本来自分達が何者であるかがバンド、そしてミックにはちゃんと見えていた。
それを証明し切ってなお余りある一曲である。
闇夜は、明け始める直前がもっとも暗いのだ。


そして数年後、モスクワで収録されたライブ盤で
世界は再びユーライア・ヒープを"発見"することになる。
しかし、そこにこの曲で壮絶なヴォーカルを聴かせている
ピート・ゴールビーはいなかった。
本作に伴うツアーの直後突然声が出なくなり、事実上歌手生命を絶たれてしまったのである(この時、バンドはひっそりと2度目の解散&再結成をしている)。
代わってマイクを受け継いだのは、(事実上何もせずに脱退した一人を挟んで)元グランプリのバーニー・ショウ。
以来、不動のリード・ヴォーカリストである。

しかし、できることならこの時のロンドンでのライブビデオ、
"Gypsy"をぜひ一度観てもらいたい。
バナナで釘が打てるような空気の会場をきっちりと盛り上げて行くバンドの
確かな手腕はもちろん、ライブの数日前に亡くなったデヴィッド・バイロンに
朗々と"魔法使い"を捧げるピート…失われたものの大きさに気付くはずだから。

                              (2012/7/16)  <fxhud402>





  
Equator (1985)


Against The Odds




バンドメンバーが安定したせいか、本来のヒープらしさが戻ったのか、
アルバム冒頭のこの曲が滅茶苦茶カッコイイ!
てか、ジューダスみたいだ。(おい)
様式美満載のギター、安心して聴けるバーニーのヴォーカル、
臭いけど(汗)つい一緒に歌いたくなるコーラス…
突っ込みどころもあるのだけれど、カッコ良ければそれでいい!
というお手本のような曲だ。(^▽^;)
                              (2014/5/12) <J>


Dream On




そしてラストには正統派哀メロバラード。
これまた、お決まり過ぎるのがアレだけれど(苦笑)
文句なしの哀メロなので紹介しておこう。

                              (2014/5/12) <J>



Sea Of Light (1995)


     


Shelter From The Rain




個人的には「もしも」これが70〜80年代に発表されていたら
代表的な名盤と呼ばれたに違いないと思い込んでいる「ソニック・オリガミ」。 
長すぎるのが難点ではあるが、捨て曲わずか(あるんかい。笑)で
秀曲揃いで、セレクトに悩むのであえてこの一曲。

王道中の王道、文句なしの哀メロバラード。

この曲を書き、ヒープを30数年支えてきたジギースターダストな
ベーシスト、トレバー・ボルダーが一年前に亡くなっていたことを
更新の過程で知ったわけだが、元気にプレイする生前のお姿を見て
ただただ残念で堪らない。。。。R.I.P.
                       (2014/5/13)  <J>





 
Sonic Origami (1998)

     



                   

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