THE KINKS(Part III)





Working at the Factory

僕にとってザ・キンクスとは、「英ロンドン/米MCA/日ポリドールから、
1986年と1989年にアルバムを出したイギリスのロックバンド」である。
それが全てだ。
正確には二枚の間に一枚ライヴ盤があるが、いまだに一度もまともに聞き通せたことがない。
「猿人間」とか「奥様お手をどうぞ」とかわけのわからない曲ばかりで、
必ずふと目が覚めるとアルバムが終わっている。
だいたい「奥様お手をどうぞ」って言ったらタンゴの曲じゃないのか!?

それ以前のこともそれ以後もどうでもいい、忘れたい。
あの胸糞の悪いブランド戦略に少しでも踊ってしまった過去を、
今なお口が"Victoria,...to,toria.."とどもってしまう後遺症を。
村の青年団なんか入りたくない。
地上げ屋はバブルの頃でたくさん。
ナレーションの中にたまーに曲が入ってるアルバムなんてイヤだ。
昼メロも飲んだくれもボンタン野郎もあっち行け。
セルロイドなんて勝手に燃えてしまえばいいんや!!

こんなことを書いていると、「またまたそんな事言って、本当は好きなんでしょ!?」
と思われるかもしれない。
でも本当なのだ。
過去に僕はファーストから「トゥ・ザ・ボーン」まで、歴代のキンクスの作品を一通り聴いた。
しかし、最初と二枚目に聴いたロンドン時代の二枚のスタジオ盤以外、
何一つとして心に響いたものはなかった。
そして先述の「ザ・ロード」同様、ほぼ全ての作品で「寝た」。

だったらなぜ、適当なところで見切りを付けず、
多額のお金を注ぎ込んで彼らの作品を買い集めたのか?
最初の二枚での成功体験もあるが、要はライナーノートに乗せられたのだ。
あのペダンティックな筆致で惜しげもなく薀蓄を披露する先生方の美文の数々に、
僕の「俺ぁ人よりいいものを聴いてるんだ」という虚栄心は巧みにくすぐられ、
音楽はライナーノートの修飾物と化し、音楽を聴くという行為は
そこに書いてあることを確認するだけの答え合わせ作業に成り下がった。

反論を恐れずに言うなら、90年代以降無数の箸にも棒にもかからない
「カタログ・アーティスト」がこの手法でサルベージされ、
今でもそれは続いている。
いわばキンクスはこの潮流の旗手であり、高収益を上げる
ブランディングに成功した理想形のひとつである。

このことに気が付いたとき、自分がいかにバカな事をしてきたかと思って、
目の前が真っ暗になった。
そして空しくなった。
程なく、ロンドン時代を除いて棚に並んでいたアルバムは消えた。
実に身勝手な話である。
今でも「ザ・ロード」を手に取るとそのときのことを思い出す。
むしろそれを忘れないために手元に残してある。聴かないけど。

残る二枚については、そうなる以前の思いの方が勝っていて揺らぐことはない。
僕にはこの二枚だけで充分だ。全てなのだ。

別の投稿にも書いたが、この二枚のアルバムには
サッチャリズムが吹き荒れた時代のイギリスの空気が焼き付けられている。
僕は昔イギリスの自動車おたくだったので
、70年代以降の「英国病」の様子を活字を通じて知った気になっていた。
大企業は国有化されてますますダメになり、
労働争議も実態は単なるたかり行為に堕していた。
どっちにしてもひたすらダメになっていくだけの泥沼だった。
そこに大ナタを振るって数字の上では一応結果を出したのがサッチャーだったわけだが、
それで人々の生活や心がさらにズタズタになったことは想像に難くない。
ちょうど今の日本のようなものだ。

そんなイギリスの真っ暗な空気を纏った真っ黒なジャケットのアルバムが、
キンクスのロンドン第一弾「シンク・ヴィジュアル」だ。
そして、その幕開けを告げる曲が"Working at the factory"。
一生工場で働くのが嫌でミュージシャンになったけど、
結局音楽産業という工場で働いている…という内容の歌だけど、
歌詞だけで物事を判断するんだったら本を読んだほうがいい。
溜めの利いたギター・ストロークとキーボードが
厚く垂れ込めた雲とスモッグに煙る「絶望工場」を連れてくる。
中坊の頃、よせばいいのに赤旗にかぶれた過去を持つ
僕の心はものの見事に貫かれた。
このアルバムは80年代のエンゲルスだ。
「英国に於ける労働者階級の実態」…。
                           (2008/8/10)  <fxhud402>                 


Lost and Found




(Working at the Factoryからの続き)そんな一曲目が終わると、
一瞬「プロコル・ハルム?」と思うようなオルガンが耳を捉える。
そう、この頃のキンクスにはキーボーディストが常駐していたのだ。

詞の内容やビデオから察するに、18世紀、まだ開拓時代の
ニューヨークを襲ったハリケーンのことを歌っているようだ。
しかし、言わんとしていることは非常にシンプルである。
どう転んでも人の生ははかない。
しかし、はかないからこそ得られるものもある。
"命・楽シ・短シ・アリガタシ"。
ささやかながら、この頃を代表するヒット曲でもある。
そして、この曲やマイク+メカニクスの「リヴィング・イヤーズ」が流行った背景には、
やはりフォークランド紛争があったんじゃないかと思う。

そしてそして、くどいのを承知で思うのだ。

キンクスは本当に「ひねくれた」バンドなのか?
彼らを愛するUKの人々は本当に皆「ひねくれ者」なのか?
ブリティッシュ・ロッカーは本当に「ひねくれてなんぼ」なのか?
結局それは、音楽そのものよりも「ひねくれていること」に
自らの拠り所を見出している人々が、音楽と我々との間に立っているからではないのか?

レコード屋のキンクスの棚は、20年前からは想像もつかないほどの盛況ぶりだ。
しかし日本での彼らを巡る悲喜劇は、
今日も底のない泥沼をずぶずぶと沈んでいっている。
                           (2008/8/12)  <fxhud402>   


The Video Shop

昔、レンタルビデオ店の受付のバイトをしていたことがある。
仕事に慣れると、やってくる客のいろいろな顔が見えるようになってくる。

ほぼ毎日現れる、明らかに仕事についていない中年男性。
目の焦点が定まらないまま、竹内まりやの「毎日がスペシャル」を
ぼそぼそと呟く若い女性。
かと思うと、明らかにまともではない金切り声を上げて子供を張り倒す母親。
誰も寄せ付けようとしないオーラを放ちつつ、
バンプ・オブ・チキンのようなパンクを借りていく不良学生。
…そして、「ヘルレイザー」のようなスプラッターしか借りない老人に
ビデオを渡したかと思うと、ヤのつく人からのVシネマ取り置きのお電話が…という具合。

そう、すべてこの曲そのままの世界だったのだ。

サッチャリズムで真っ暗な時代のイギリスが焼き付けられたアルバム
「シンク・ヴィジュアル」の中でもことに印象的なこの曲。
工場をクビになって裏ビデオ屋を始めた男と、
そこにかりそめの現実逃避を求めて集まる、せめてそうする以外何もできない、
行き場のない人々…そこに自分もいる。
一丁目があって二丁目のない地獄に。
                               (2008/8/7)  <fxhud402>           


Think Visual (1986)


How Do I Get Close?




僕が最初にキンクスの音楽と出会ったのは、
地元のラジオ番組でやっていたいわゆる空耳ソングのコーナーであった。
そこで「スーパースター最高!!」と歌っているように聞こえる、
として紹介されていたのが、本作と同様アルバム「UK・ジャイヴ」に収録されていた
"Entertainment"という曲だった。
空耳の原詞自体は"Superstar Psycho"で
そもそも空耳かどうかも怪しい他愛のないものだが、
この放送を聴かなければその後の展開はなかった。

やがてアルバムを手に入れて聴くようになると、
"Entertainment"を始めとするパラノイアックな曲が並ぶ中、
この生ぬるい、水で薄めて間の抜けたボン・ジョヴィのような曲が耳に残るようになった。
こういう産業ロックっぽい音作りはこのアルバムの特徴のひとつで、
恐らくレイ・ディヴィスの本意ではなかったのではないかと想像させる。
果たしてやる気があるのか疑わしくなる、なんとも意味不明な内容の
このPVを見てもそうなんじゃないかと思う。
しかし、これが僕にとってはキンクスというバンドの第一印象だったのだ。
「ヴィレッジ・グリーン・プリザベイション・ソサィエティ」の牧歌的なサウンドや、
「ユー・リアリー・ガット・ミー」のような鋭いリフなんて、想像もつかない。
                           (2008/8/10)  <fxhud402>                 


Down All the Days (To 1992)




例によってヘヴィでシニカルな曲が並ぶアルバム「UK・ジャイヴ」の中でも
妙に明るいタッチなのがこの曲。
やはりそれには裏があった。

前のスタジオ・アルバム「シンク・ヴィジュアル」から今作までの間に、
キンクスの地元であるイギリスではある重大な出来事があった。

フォークランド紛争の終結である。

起きていたのが文字通り地球の裏側であったため
日本人からするとピンと来ない事かもしれないが、
南米の沖にある世界の果てのような島々を巡って、
80年代の初頭からイギリスはアルゼンチンと戦争をしていたのだ。
イギリス人にとってのフォークランドは、アメリカ人にとってのベトナムのようなものだという。
それだけ先のない、報われない戦争だったのである。

それが事実上イギリス側の敗戦で終わったことが、
「ウォー・イズ・オーバー」とこの曲に歌い込まれている。
PVが実に象徴的だ。
戦争で父親を失い、崩壊した家の息子が、
荒れ果てたかつての我が家で思いにふけるというもの。
そこに音楽が「1992年に向かおう!!」と明るく語りかけ、
最後にはレイ・ディヴィスが現れて、家はきれいな空き家に戻る。
「またゼロからスタートだ」、とばかりに。
しかし失われたものの重さが消えることはない。
壊れた家庭はもう戻っては来ないのだ。

そして、1992年が来るまでにはもう一発戦争が起きてしまうのである。

                           (2008/8/7)  <fxhud402>                  


UK Jive (1989)  


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