ジャン=ジャック・ゴールドマンという人について1952年パリに生まれる。 幼少のころからバイオリンやピアノを習っていたが、多くの若者がそうであるように アメリカ文化の虜になり、バンドを組んだ当初はもっぱら英語でロックンロールを歌っていた。 しかし、ある時たまたま見たレオ・フェレのコンサートに感銘を受け、 自国の言葉で歌うことの素晴らしさに目覚めたという。 アーティスト"ジャン=ジャック・ゴールドマン"は、まさにこのとき誕生したといえよう。 その後ベトナム系移民のギタリストタイ・カーンらと合流、英語ロックバンド"タイ・フォン"を結成、 ベースとヴォーカルを担当した。そしてついにソロ・デビュー。 その後の足跡はフランス音楽界の歴史となっている。 彼は80年代のフランス語圏を代表するシンガー・ソングライターとなったのである。 特に1985年のアルバム"Non homorogue"及びそれに続く 二枚組アルバム"Entre clears et gris fonce"両作の成功は、その人気をフランスのみならず ヨーロッパ全土に広めることとなった。 ライヴ盤"Traces"にはそんな彼の成功の全てが詰まっていると言えよう。 そして1989年には、この極東の小国でも、先述のスタジオ盤2枚からの編集盤がリリースされるに至った。 折からのワールド・ミュージックブームというきっかけがあったにせよ、英語圏、 それも米英以外の国の音楽は全て何がしかのレッテルの付いた隔離室に入れられ、 まず一般の耳に届くことのないこの国のお寒い「洋楽」事情において、 これは空前絶後の快挙だったのである。 下って90年代、彼は強い絆で結ばれたバンド・メンバーとの連名 "フレデリク=ゴールドマン=ジョーンズ"で活動するようになり、ついにアメリカ上陸を果たす。 が、これは不調に終わった。 しかし、ケベック(カナダのかつてフランス領だった地域)出身のシンガー、セリーヌ・ディオンの フランス語アルバムのプロデューサーに抜擢され、彼女とのコラボレーションは現在に至るまで続いている。 そして地元ヨーロッパでは旧ソ連赤軍合唱隊との共演を成功させたりした後、 1998年のアルバム"En passant"からソロ名義に戻り、磐石な活動を展開している。 <fxhud402> |
Famille/家族
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エルトン・ジョンやビリー・ジョエルを髣髴とさせる弾き語りバラッド。 とはいえ、英米のロック/ポップスとシャンソンとの嫡子である彼の音楽には フランスならではのポエジーが息づいている。 「僕は君の家族だ、血の通った家族以上だ...時々生活をクロスさせよう」 このリフレインが会場とのコール&レスポンスに変わるときに生まれる、 人肌の暖かさがこの曲の真骨頂だ。 <fxhud402> |
C'Est Ta Chance/幸せへのステップ
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これもビリー・ジョエルを思わせる曲。 力強く、リズミカルなピアノに乗せてコンプレックスに負けるな、チャンスをつかめと歌う。 「それは君を前に進ませるための少々の無礼だ」と。 <fxhud402> |
LA -Bas/あこがれ
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ずーっと前に紹介した夭折のシンガー・ソングライター、シリマとのデュエット曲。 地元を捨てて都会に出て行こうとする男と、それを引きとめようとする恋人の歌だ。 「ここでは全てが嘘っぱちだ」 「行かないで、あそこでは...あなたはあなたでなくなってしまう」 <fxhud402> |
Parler d'Ma Vie/流れのままに
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繊細な男の内省と独白。 マイルス風トランペットがうたにそっと寄り添う。 「何かである前に"have been"だなんてちょっとしんどいな、 僕は選択をしない者の仲間だ... こんな僕の人生を誰も必要としてくれない」 <fxhud402> |
Je Te Donne/贈り物
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後にユニットの一角を成す英国人ギタリスト、トレバー・ジョーンズとのデュエット。 英語とフランス語、双方のギター、 そしてリスナーとの間で交わされる心のコミュニケィション...。 <fxhud402> |
Singulier 81-89 (1999) |
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