THE JACKSONS





We can change the world/輝く世界




彼等にとってのホワイト・アルバムというべき作品「ヴィクトリー」からの一曲。
ジャクソンズの野村義男こと次兄ティト・ジャクソンの実質的なソロ曲である。
恐らく、完全なティトのソロ曲としてレコーディングされて発表されたものは
これ一曲だけじゃないだろうか。

このアルバムに収録されている「ビー・ノット・オールウェイズ」とかもそうなのだが、
マイケルのバラード曲は曲以上に感情が前面に出ていて、
ややもすると少々クサく感じたりするきらいもあるのだけれど、
この曲はメロウなメロディが前面に出ていて、すごくいい。
哀メロとしてはアルバムの中ではトップ、彼らの曲全体の中でも屈指だと思う。
こういう曲をサラッと流す感じで配しているあたり、さすがなのである。

                               (2009/6/30) <fxhud402> 


Body




マイケル・ジャクソンが80年代に収めた怪物的な成功と
その甚大な影響は誰もが知るところだが、
その余波の直撃を受けたのがジャクソン家の兄弟姉妹ではないだろうか。
家業として同じ仕事についている兄弟姉妹のうち、一人が突出という
言葉では片付けられない成功を収めたとき、
その他の兄弟たちの複雑な心境は慮って余りあるものだ。
少なくとも、よかったねの一言で済まされるものではない。
まして年の離れた兄弟姉妹ならともかく、ほぼ歳の変わらない弟がそうなったとしたら…。

ジャクソンズの場合、少なくとも改名してから4枚目のアルバムである「トライアンフ」までは
兄弟がそれぞれ力を出し合った、ひとつのグループとしての作品だったと思う。
もともと天才的なフロントマンであり、スターとしての輝きに満ちていたマイケルは、
ソロ・アルバム「オフ・ザ・ウォール」の成功でますます波に乗りつつあり、
それがグループとしてのジャクソンズにも勢いを与えていた。

しかし、この微妙なバランスは、マイケルの次のソロ・アルバム「スリラー」の
文字通り怪物的な成功により吹き飛んでしまったのである。

果たして、次のジャクソンズのアルバム「ヴィクトリー」と、
それに伴うツアーは大変奇妙なものとなった。

まずアルバムのジャケット裏に堂々と鎮座していたグループの象徴である孔雀が、
小さく控え目になった。
そして、ジャケット表や中見開きに並ぶ、個々に違うデザインの服に身を包んだ兄弟たち。
しかもそこには、CBSに移籍するときにモータウンに残って脱退したはずの
ジャーメインまでいるではないか!
もう、ジャクソンズではないのだ。
ジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロン、マイケル&ランディなのだ、と言いたげに。

実際にアルバムの内容もそうであった。
マイケルがリード・ヴォーカルを取るのはジャーメインも参加した冒頭の曲「トーチャー」以外は、
兄弟の手を借りぬソロ曲「ビー・ノット・オールウェイズ」、
そしてフレディ…じゃない、ミック・ジャガーとの競演という話題性のためだけに
作られたような「ステイト・オブ・ショック」の3曲だけ。
それ以外の曲も、兄弟たちが個々にプロデュースしたソロ曲に、
お互いをゲストとして呼び合う形だった。
ジャクソンズはアイドルグループから才能集団に進化していた。
兄弟の一人一人が、凡百のミュージシャンが裸足で逃げ出すような力量を備え、
それぞれがソロ・アーティストやプロデューサーとして
やっていけるだけの輝きを放つ…はずであった。

しかし、ツアーの実態はアルバムに込められた意図を吹き飛ばすものだった。

そのツアーは確かにジャクソンズ名義であり、「ヴィクトリー・ツアー」と名乗ってはいたが、
その実態はマイケルのソロ・ツアーであり、他の兄弟たちは
古いジャクソン5時代の曲をやる時にステージに参加するだけで、
「ヴィクトリー」からはついに一曲もプレイされなかったのである。
どうしてそうなったのか、他の兄弟達が何を考えていたのかは、わからない。
確実に言えるのは、ある素晴らしい出来のレコードが抹殺に近い
不当な扱いを受けたことと、当時もはや誰も、たぶんメンバー自身さえも
「ジャクソンズ」を必要としていなかったという事だろう。
彼らが欲していたのは「マイケル」、「マイケル」、それだけだった。
ひょっとするとそれは一人のアイドル・ミュージシャンではなく、
レーガノミクスの象徴、再び世界に影響をもたらす
「強いアメリカ」の象徴だったのかもしれない。

「Body」はそんな悲劇的な作品のラストを飾る、軽快なダンス・ナンバー。
マイケルと最も歳の近い兄、マーロンの実質的なソロ曲である。
歳が近い故にそのライバル心は相当なものだったようで、
ツアーの後ジャクソン家そのものを飛び出す格好でソロ・デビューするもまったく売れず、
後に実家とは和解するものの、恐らく現在も本業はスーパーマーケットの仕入れ係である。

この曲はともかくビデオ・クリップを見て欲しい。
「スリラー」直系のホーンデッド・マンション趣味が全開の「トーチャー」とは
好対照のこの屈託のなさ!
これこそが、巨大過ぎる「マイケル」の影に呑まれて消えた、
稀代のアイドル・グループ「ジャクソンズ」である。
そう、かつてこんな人達が、確かにいたのだ(と、泣く)。

                                 (2009/6/30) <fxhud402>


Victory (1984)


Nothin'(That compares 2 U)/ナッシン




1970年代を中心にひとつの時代を築いたグループの最期の光芒がこれだ。

周到な個々のソロ活動の末に、再び兄弟達は会いまみえた。
一応今回はジャクソン家全体のプロジェクトという位置づけがされており、
アルバムのタイトル曲「2300ジャクソン・ストリート」では、
マイケルを含む(当時勘当状態だったラ・トーヤとマーロンを除く)ジャクソン家の面々が
次々とヴォーカルを取る、感動的なものだった。
そんな「家族」への回帰は、民主党レーガン政権から
保守的な共和党ブッシュ政権への移行と不思議と重なっている。

しかし、それ以外の曲は長兄ジャッキー、次兄ティト、完全復帰した三男ジャーメイン、
そして末弟のランディの四人で制作されている。
名門の復活を告げるファースト・シングルに選ばれたこの曲は
そのままジャーメインのソロ作にも関わることになるベイビーフェイスがプロデュース。
その他にもテディ・ライリーとかマイケル・オマーティアンとか、
90年代以降のポップ界を牛耳る大物プロデューサーをいち早くズバズバと起用しており、
もう20年前の作品なのにまったく古びていない。

にもかかわらず、世間のこの作品への評価は、

「……で、マイケルは?」

あるいは、

「マイケル抜きでジャクソンズを名乗るなんて詐欺だ!」

というボロッカスなものであった。
おかげでこの作品は、マイケル関連のアルバムの中で
最も中古屋で叩き売られている確率が高い。

このビデオ・クリップを見て欲しい。
一体全体何がいけないのであろう?
そこにあるのは、時代と堂々と渡り合うジャクソンたちの姿だけである。
ティトのギターもたっぷりと聴けるし。確かにこのシチュエーションで
唐突に定番のバスケットボールネタを始めるのに違和感があるかもしれないが、
別にいいじゃないか!元祖アイドル・グループなんだから。
少なくとも関ジャニ8には負けてないと思うぞ(問題発言)。

                                   (2009/6/30) <fxhud402>


2300 Jackson Street (1989)



Jackson 5 Official HP




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