Don't Be Lonely
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基本的にはロックの話題が中心の哀メロの掲示板ではあるが、 時折りマイケル・ジャクソンやプリンスが話題になる時がある。 が、そんな時僕はあえてその話題には無関心を装ってきた(と思う)。 よしんば「fxはマイケル派プリンス派どっちなの?」なんていう展開になったとしても (ほんとになるかどうかはこの際別として)、僕はどちらの派閥にも組みしないだろう。 なぜそこまで断言できるのか? それは... 僕がマイケル派でもプリンス派でもなく、キャメオ派だからだっ (だからだっ...だからだっ...だからだっ...とエコー) そう、あの時確かにマイケルや殿下とともに、あの謎の面白ルックスのおっさん3人組は 時代を切り開く最先端にいたのだ。 もともとキャメオは9〜12人編成のオーソドックスなファンク・グループだった。 それこそ、アースやコン・ファンク・シャンのような。 しかし、時代とテクノロジーの発達は、急速にこういう大所帯グループの居場所を奪っていった。 挙げ句の果てには大御所であるジョージ・クリントンのグループまでが 活動をギブアップする始末。 誰もがファンクの未来を悲観視していた。 そんな中、キャメオのボスであるラリー・ブラックモンは果敢に生き残りを図った。 レコーディング・メンバーをぎりぎりまで絞り込み、大胆なテクノロジーの導入を図った。 その結果引き締まった切れ味鋭いヒット曲が生まれ、 なんとかバンドは踏みとどまった。 実はモーリス・ホワイトもアース・ウインド&ファイアーにおいて 同様の生き残り策を試み、アルバム「エレクトリック・ユニヴァース」をリリースしたが、 シングル「マグネティック」はヒットしたもののバンドは解散してしまった。 この辺はバンドの創造性が上り坂だったか下り坂だったかの違いだろう。 そうしてブラックモンが自らの方向性に自信を深めていたころ、 巷をあるヒット曲が騒がせていた。 イエスの「ロンリー・ハート」だ。 それを聞いたブラックモンはこう思ったに違いないのである。 「なーんだ、世間はこんなもんで大騒ぎしてやがるのか。 JB'sのホーンを重ねて重ねて...ね。 ま、俺の手にかかればこんなんよりずーっといいもん作ってやるよ。 このブラックに任せてみなってんだ」 その結果が大ヒット作「ワード・アップ!」である。 JB'sやブレッカー・ブラザースら超一流のサポート・メンバーを迎えて製作された本作は、 古典的なファンクと現代のR&Bとのミッシング・リンク「エレクトロファンク」の 代名詞となる時代の金字塔であり、ジャン・ポール・ゴルチェの衣装によるジャケットは ブラックネスを失うことなく従来の泥臭さを消し去り、 黒人のパワーエリートが珍しくなくなった当時のアメリカの世相にバッチリはまった。 まさにブレイクの瞬間が刻み付けられているのである。 その一方で、そんな中であっても彼らは良くも悪くも 古典的なソウル・ミュージックのフォームを守り続けた。 このアルバムの中ではバラードの「Don't be Lonely」がそれにあたる。 この曲、2コーラス目までは終始ファルセットのコーラスで歌われるのだが、 クライマックスになると御大ラリー・ブラックモンが地声でサビを歌う。 ほんと、この時のラリーの声の手触りの優しさったらないのだ。 ソウル・ミュージックのある世界に生まれて来て良かったと思わず感謝してしまう。 しかも、アルバムではこれにセリフが加わるのだ。 それもソウル・ミュージックでは定番の電話ネタ(「ハイ、僕だ...最近どうしてる?」みたいな感じ)で、 僕はまたまた嬉しくなってしまうのである。 またこれは余談だが、この曲を歌う衣装もPVとかでこそ普通のスーツなのだが、 ステージでは先述のゴルチェの服(仮面ライダーか何かのように腹筋の「型」が取ってある)に、 腰には股間を強調するショッキング・ピンクや金の貞操帯、 髪型は例のビッグ・フラット・トップ(角刈り...というより、スキンヘッドの上に 何やらもじゃっと黒い箱が乗っていると言ったほうが正確)... そんな格好で出川哲朗をギョロ目にしたような中年のおっさんが 大まじめにこの切ない歌を歌うのである。 これを格好いいと言わずして何を格好いいというのだろう? 世のマイケル派&殿下派の皆様にじっくりと訊いてみたい咋今なのである。 <fxhud402> |
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